2010年5月11日火曜日

自分の力で

「自分の力でする」というのが美徳と、ずっと思っていました。私は、自分の力でどうにもうまくいかず、神様に頼り、クリスチャンとなることができました。

週末、家内の不動産業の手伝いで、カナダから来た、台湾系のお客さんに付き合い、近隣の家を見て回りました。お子さんをアメリカの大学に入れようと、高校からアメリカに来ようとしています。お父さんは、中国で靴の商売をやっておられるようで、私どもから見ればずっと裕福なご家庭です。

何軒見てもなかなか気に入ってもらえず、やっと日曜日、ある新築のまだ建っていない家に、奥さんのほうがかなり興味を持たれたようでした。

私から見ると、どうしてこれが、と思う面もあり、やはり、人の考えは千差万別なのだと実感します。その奥さんは、それまで私が言うちょっとしたネガティブな指摘に反応して、私から見ると総合的に良さそうなものまで、バツをつけてしまうように感じ、また家内も、私がなにか言うと決まらなくなる傾向を感じましたので、今回は良い点以外は言わないように務めていました。

この御夫婦は、自力で資産を築いてこられたのだと思います。かなり慎重で疑ってかかる面があります。(資産はないですが私も似た傾向があります)しかし、そのあげくに選んだものが、新築という面はあるものの、場所的に、私には結構欠点が見られ総合的には、私ならば別のものと思う物件だったので、自分の力でするということは、自分のしらないことには、まったく、愚かになってしまう懸念を感じました。

中国系の方ですから、まず道路の突き当たりの家を嫌います。また、私から見ると結構ヨーロッパ風でいいなと思う外観にバツをつけてしまい、間取りすら検討しません。家は総合的に見た方がいいと思うのですが、経験上、外観にこだわりすぎるより、使いやすさの実をとる方がいいと思うのですが。人生経験の異なるこのご夫婦が、私と同じ見方をしなくて当然ですから、過敏に反応しすぎない、ご主人の方に、裏庭側の隣接地の大木のことを、気になりませんかと、尋ねるにとどめました。

クリスチャンならば、どうしたらいいでしょう、自分たちの力、知識に限界があるのは、もちろん、間違っていることさえ正しいと思い込んでしまうかもしれません。祈って、神に聞きながら生きることが。

余談ですが、この一軒1億円ちょっとの新築住宅地に、大陸の中国からのぜんぜん普通で裕福そうに見えない若夫婦(30歳くらい?)が楽観的気軽に買っていたのを見て、瞬く間に経済成長を遂げた中国の断片がここにもあらわれているのを感じました。

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