Lehigh Valley Japanese Ministries
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オンライン クリスチャン Online Christian
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2015年6月7日日曜日
2014年8月19日火曜日
少年H
2014年8月17日の日曜夜9時から、少年Hという第2次大戦を舞台にしたドラマがありました。
珍しくこれは、クリスチャンの家族のものでした。
伊藤蘭がお母さん、水谷豊がお父さん、という設定でして、でも、結局、なにやら、曖昧な結末を感じ、あまり信仰の証を感じることは、少なかったように思いますが、とはいえ、人間のあやふやさ、クリスチャンの生き方が少し感じることはできたかもしれません。
珍しくこれは、クリスチャンの家族のものでした。
伊藤蘭がお母さん、水谷豊がお父さん、という設定でして、でも、結局、なにやら、曖昧な結末を感じ、あまり信仰の証を感じることは、少なかったように思いますが、とはいえ、人間のあやふやさ、クリスチャンの生き方が少し感じることはできたかもしれません。
2014年3月8日土曜日
偶像
聖書の中では、人間の祭った他の神々が偶像と言われます。
現代の我々にとっての偶像は、牧師さんが言うには、金銭富や名声、セックス、などをあげていました。
これだけ見ると、欲望否定のように感じますが。それらを求めることが、人生をかえって不幸にもっていく面があるかもしれません。
いつも、より多いものに憧れ、満ち足り無い。人を羨み、自分を不幸だと思う。
現代の我々にとっての偶像は、牧師さんが言うには、金銭富や名声、セックス、などをあげていました。
これだけ見ると、欲望否定のように感じますが。それらを求めることが、人生をかえって不幸にもっていく面があるかもしれません。
いつも、より多いものに憧れ、満ち足り無い。人を羨み、自分を不幸だと思う。
2014年2月6日木曜日
聖職者の児童虐待問題
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20140206-OYT1T00337.htm
国連が、数万人の子どもの虐待に聖職者が関与してきた、バチカンが内部調査結果の公表には消極的、とのこと。
カトリックの聖職者とやらでは妻帯できない規則があるらしいです。やっぱり無理がたたって、歪んでしまうのか。どうやら。
国連が、数万人の子どもの虐待に聖職者が関与してきた、バチカンが内部調査結果の公表には消極的、とのこと。
カトリックの聖職者とやらでは妻帯できない規則があるらしいです。やっぱり無理がたたって、歪んでしまうのか。どうやら。
2013年10月13日日曜日
2013年8月22日木曜日
自分が弱いこと
自分がほんのちょっとでもすぐれていると思うと、私には、すぐ傲慢がもちあげてきてしまうようです。自分が弱いと思っている時が、神様に頼らないとやってゆけないので、謙遜になり、より真摯に祈ることもできる様に思います。
2013年6月4日火曜日
権威に従う
ローマ人への手紙13章1節から。
13:1すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。13:2したがって、権威に逆らう者は、神の定めにそむく者である。そむく者は、自分の身にさばきを招くことになる。 13:3いったい、支配者たちは、善事をする者には恐怖でなく、悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れないことを願うのか。それでは、善事をするがよい。そうすれば、彼からほめられるであろう。 13:4彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。しかし、もしあなたが悪事をすれば、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神の僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである。 13:5だから、ただ怒りをのがれるためだけではなく、良心のためにも従うべきである。 13:6あなたがたが貢を納めるのも、また同じ理由からである。彼らは神に仕える者として、もっぱらこの務に携わっているのである。 13:7あなたがたは、彼らすべてに対して、義務を果しなさい。すなわち、貢を納むべき者には貢を納め、税を納むべき者には税を納め、恐るべき者は恐れ、敬うべき者は敬いなさい。
私は、権威を恐れず、盲従せず、立ち向かうことがいいことと、思って来ました。かえって、上司、上役に、内心、逆らって、批判的なことが、生涯、とても多かったように、思います。
しかし、この箇所でパウロが言っていることは、まったく違います。
確かに、私は自分の身にさばきを招いたように思います。
13:1すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。13:2したがって、権威に逆らう者は、神の定めにそむく者である。そむく者は、自分の身にさばきを招くことになる。 13:3いったい、支配者たちは、善事をする者には恐怖でなく、悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れないことを願うのか。それでは、善事をするがよい。そうすれば、彼からほめられるであろう。 13:4彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。しかし、もしあなたが悪事をすれば、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神の僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである。 13:5だから、ただ怒りをのがれるためだけではなく、良心のためにも従うべきである。 13:6あなたがたが貢を納めるのも、また同じ理由からである。彼らは神に仕える者として、もっぱらこの務に携わっているのである。 13:7あなたがたは、彼らすべてに対して、義務を果しなさい。すなわち、貢を納むべき者には貢を納め、税を納むべき者には税を納め、恐るべき者は恐れ、敬うべき者は敬いなさい。
私は、権威を恐れず、盲従せず、立ち向かうことがいいことと、思って来ました。かえって、上司、上役に、内心、逆らって、批判的なことが、生涯、とても多かったように、思います。
しかし、この箇所でパウロが言っていることは、まったく違います。
確かに、私は自分の身にさばきを招いたように思います。
権威を尊重しない態度であったことは事実です。神の教えに照らして、権威を尊重してみようかと思います。
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