2010年2月27日土曜日

民主主義

私の子供の頃、独裁政治に対比して、民主主義がいいと教えられてきました.納得したものです。みんなで決める。多数決がいいと。

それ以上いい考えは私にはなかった。

クラスの中での投票は、この人のほうがあの人より優れていると思われたから、選ばれた、私は、そんな冷たいことを言っていたのを思い出します。15歳の時でした。むろん、私は中学校でずっと、学級委員でクラス代表だったりしたから、弱い人の選ばれなかった人の気持ちが、わからなかったし、自分が得意になっていた、ようです。

一生懸命頑張って努力して、より良いことを成し遂げた人が、怠けていい加減にやった人より報われる事自体は、当然と思ったりしましたが、自分が、うまくできないことが増えた、高校時代16歳くらいから、その論理では、苦しくなる一方でした。弱肉強食の論理になりませんか。

ずっと40年苦しんできました。自分は劣るから、仕方ない、クリスチャンになって7年が過ぎましたが、まだそのことで苦しんでいます。人に認められない、愛されないのは、何かが劣っているからとか。

2010年2月10日水曜日

聖火リレー、アメリカ~カナダへ

朝8じまえ、アメリカのフィル・メーアが聖火を持ってピースアーチをくぐります。周りで鳴っている太鼓のような音は、日本のお寺やなんとか教で鳴る太鼓とそっくりです。ネイティブ・アメリカン、アメリカインディアンの不気味な、リズムです。たまたまフィル・メーアもワシントン州ヤキマの出身ですが、あのへんもネイティブ・アメリカンの多い地域です。

このピースアーチは、私どもがカナダに遊びにいく時通るところです。

アメリカ西海岸北部にはトーテムポールなどネイティブ・アメリカンの影響が多く残るところです。不気味なトーテムポールは思えば日本の仁王門の不気味さなどと共通点があるなぁとあらためて思います。私の息子も小さいときは、近所の公園にある、スノコルミ部族のトーテムポールを怖がっていたものでした。それが自然です。日本の仁王門や、ヒンズー教のシバ神の仏教版の像など気持ち悪いです。3歳くらいの子が怖がるのは自然と思います。大人は、麻痺して、気持ちの悪いものを拝んだりしてますね。

2010年2月9日火曜日

タイプーサムから思うこと

http://cnn.co.jp/fringe/CNN201002080017.html
マレーシアのヒンズー教徒が背中にかぎ針を刺す写真があり驚きます。タイプーサムというお祭りだそうです。無病息災や平安を祈るのに苦行が求められる人のこと。

無病息災という言葉は仏教の言葉でしたか、病気がなく災がないことを、たしかに私もそういう状態が望ましいと感じますが、現実の人生はそうでもないですね。ヒンズー教徒はこういう痛い苦痛の苦行を通して祈るのということなのですか。これで本当に効果があるのでしょうか。

日本の神仏混合の社会では、たしか神社かお寺に行ってお賽銭を投げたり、なんかご利益のあるといわれるものを買ったりするようですから、苦行はないですね。これで本当に効果があるのでしょうか。

キリスト教では、父なる神に、イエス・キリストの名によって願い事を祈りますが、神は、答えてくれることもあるし、祈りに答えないこともある。答えないのは祈る我々には不本意なことですが、神の目からは最善という、外の人から見たらなんだそりゃ、と言いそうな事を受け入れています。これが受け入れられる自分にも過去の自分から考えて不思議な変化ですね。

ヒンズー教の経験はないですから、かぎ針を体に刺す気持ちはわかりません。日本育ちですから、お寺や神社で願い事をしている感覚は少しわかりますが、祈る相手は、聖書の言う父なる神でなくては、となってしまいます。