2011年9月18日日曜日

ずっと前から知っている男の子

息子と同じ年の、16歳の男の子ですが、10年くらい前の印象は変な子でした。ピアノを始めたのが遅くて、6年くらい前じゃないかな、10歳かな、最初の数年は、まあ、あんなもんかな、などと思って見ていましたが、今日、わが家で息子がユースの集まりを主催しているときですが、誰が弾いているのかと思って覗いたら彼でした。びっくりしました。もう私と同じくらい大きくなっていて、相変わらず、おとなしいというか変な感じですが、音楽的なピアノに変わっていました。そう、少なくも私を楽しませてくれる、ピアノでした。人は変わるんですね。びっくりです。

どうせダメじゃないか、という思いで、生きている私ですから。

2011年9月14日水曜日

全身やけどの人

この文章を書いたのは7月中旬過ぎでしたが、下書きのまま保存されていたので今だしています。

昨日再び身を寄せた、知人の家 New Jersey の Paramus の近くの店のキャッシャーで、全身やけどらしき人が働いていました。見えるところ、顔と頭と腕全てが、紫がかっています。その人は、視線を合わせるのを避けている感じがしました。おそらく白人の若い男の人だと思いますが。自分に対する驚きの顔を見たくないような。

私には、その気持がわかるような気がします。私は、全身やけどでもないのに人の視線を警戒しているから。どう思われるか自信がなく恐れているから。

その時、思ったのは、心のなかで、相手がどう思うかは変えられないけど、自分の心は変わることができる。どんなにすごい姿でそれは変えられなくても、心は変われる。イエス・キリストとともに。

私が、人を恐れるのは、私に攻撃的な心が自分の中にあるからで、それが、(人も自分と同じで)人を通して、自分に戻ってくるのを恐れているように感じます。私に差別の気持ちが減れば、そういう恐れも減るように感じます。

Hillsong

ニューヨークでは Hillsong NYC という教会に通いました。他にない良い教会と思いました。シアトル地区に戻って、今まで通っていた教会へ戻りましたが、今ひとつパンチが足りなく物足りなく感じて、 Christian Faith Center というところへ行きましたが、 Hillsong NYC と共通な何かがあるように感じました。しかし、いくらか違う面も気になって、さらに別の教会へも行ってみました。ウェブで評判のいい教会の Bellevue にあるブランチに2度ほど通いましたが、やはり、今ひとつしっくりとこないので、もう一度 Christian Faith Center に行ってみました。牧師の奥さんの語り口は今ひとつ引っかかるし、あまり興味を感じないギター演奏かが出たりして、しっくり来なかったのですが、礼拝のお話が、なんと Australia の Hillsong からでした。あちらは夜だったようですが、画面では満席に見えました。とても、びっくりしましたし、 Casey Treat のお話は、たくさんの聖書箇所を引用し、私たちが価値があるから、神から選ばれ、祝福があるのではなく、一方的に、祝福を受けていることをあらためて伝えてくれました。