2010年4月25日日曜日

Android OS ソフトやっと出荷

Android Market で Lifestyle の中。SeaGospel を捜すと出てきます。無料です。
実はこのソフト4ヶ月近く前に出来ていたのですが、サインする方法を当時失敗して、出荷できず。1月上旬より、契約の仕事が始まり、手付かずでした。機能をアップするよりまず出そうということで出しました。最近日本でも Android の携帯やデバイスが増えていますね。多くの人が聖書に親しむチャンスに使ってもらえたら、嬉しいです。

カトリック神父の性的虐待事情

http://www.asahi.com/international/update/0424/TKY201004240250.html
性的虐待被害の男性、ローマ法王を提訴 書類公開求める

男性は、1950~74年の間に同州の聴覚障害者の学校に勤務していた神父から性的虐待を受けた約200人の少年らの一人。訴訟を準備していた96年、地元の大司教が問題を報告する書簡を2度、バチカンで聖職者の破門や懲戒などの処分を所管する教理省に送った。当時の教理省長官が現法王のラツィンガー枢機卿だったが、加害者の神父は聖職を剥奪(はくだつ)されることなく、2年後に死亡した。
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つまり現在のローマ法王とやらが、過去に何も処分をしなかった事を訴訟しているわけです。聴覚障害者の学校に勤務していた神父が200人もの少年を性的虐待する。カトリックでは神父というのは聖職者というものらしいですが、漢字が違う性職者とでも言えるべき事態ですね。これは朝日新聞の記事です。聴覚障害の男の子を性的にいたぶる、性犯罪者が神父のままいられるのがカトリック。

うーん、そもそも法王とか、階層権力構造自体、とてもキリストの教えとは思われないのです。日本のキリスト教雑誌に、カトリックも一緒にしたものがありましたが、抵抗感を感じる私です。新共同訳という聖書はカトリックと共同で訳したものだそうですし。

うーむ、で、私は、相変わらず人を疑いの目で見てしまうんですね。なんかこれもしっくりこない。

2010年4月20日火曜日

The Genius Club

土曜日に偶然テレビでやっていました。ちょっとオーバーな設定で、変だったけど。これも人生の目的を問うような面がありました。

2010年4月19日月曜日

ある若い人の証しから

昨日シアトルのある日本語教会で、ある若い人の証しを聞く機会がありました。
素直なシンプルな人のようです。
昔はゲームをしてたけど今はしていない。
日本語が私の息子よりずっと上手なアメリカ人です。

何年か前兄弟や両親と京都の清水寺に正月に訪ねていて、水でお清めの作法をしています。私が、現在、まずいと思う、サタンに関わる儀式です。

彼は素直でシンプルなのであまり、防衛的に考えていないようです。私は、それは、危ない、あれは邪悪だと、恐れで予防線を張ろうとします。

この私の、びくびく警戒している姿勢のほうが、よほどサタンに翻弄されているように感じました。私の中に、生涯ずっと長年住みつく、恐れや警戒心、平安でない状態、怯え、小心、それらを感じます。神からきたものじゃないように、感じます。

恐れない、警戒しない、ということでは、なくて、ただそちらに気持ちが行き過ぎているように感じました。

そういえば、この教会では、英語部で、太極拳の活動をやっています。「気」というのがサタンにかかわること、まずい、と思う私には、教会自体にこの方面に関する知識がないかもしれないと思いました。今週末も、すき焼きディナーで、太鼓のデモかなにかがあるようですが、神道と関わりがあるのでは、という私の問に、日本の伝統という答えをいただきました。

日本の伝統、行事、お祭りなどの多くが、神道や仏教と関わってしまい、それらが、日本人を聖書の神への信仰に向かうことを遠ざけている、サタンの働き、そう思う私には、一見良さそうに見える、伝統とやらの中に潜む邪悪なものを考えてしまいます。

昨日、午後、息子と二人でシアトルの桜まつりに行ってみました。残念ながら、息子には,興味をひくものは皆無という感じで、私も、日本の祭りにはこんなものしかない、ちょっと情けない気持ちになりました。野外では、太鼓のデモがありました。日本刀を研いでいる人がいました。神社の建築みたいなのをやっている人がいました。盆踊りみたいなのをやっていました。お盆自体が死者と関わるというような怪しげな起源からきている行事でしたね。

太鼓の音自体が、演奏する雰囲気が、明るいものではなく、おどろおどろしい、暗いエネルギー、サタンの影響を感じてしまうのです。

以前、京都の街が保存されず、どこにでもある日本の街並みに変わっていきつつあることを、日本人の愚かさのように、告げる人もいたし、人を否定的にこき下ろすのが好きな、下げるのが好きな(サタンと仲がいいような)私もそう思いましたが、悪しき伝統、暗闇の儀式が破壊され、新しき、聖書の神とともに生きる日本が始まるには、伝統保存というより、新しいものを生み出すことが必要ではないでしょうか。

少なくも、悪しきモノを崇拝していた状態でできた日本の二千年以上の伝統から脱し、聖書の神とともに生きるということは、生まれ変わることで、前やっていたことを止めることも含まれていますよね。

2010年4月18日日曜日

聖職者による性的虐待問題、米国人多数が法王の対応を評価せず

http://cnn.co.jp/usa/AIC201004170008.html
欧州ではここ数年、オーストリアやドイツ、イタリア、オランダ、スペイン、スイスなどで聖職者による性的虐待が次々と判明。数十年前の被害者が過去を告白するなど、カトリック教会に対する信頼が大きく揺らいでいる。
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私が聖書の神を信じる前は、カトリックとプロテスタントの違いは歴史で習った程度の知識(カトリックがお金で罪を許す免罪符の発行という腐敗からプロテスタントが生まれた)程度しかありませんでした。聖職者というと、カトリックの神父のような人の事ではないかと思いますが、神父というのは、すごい名前ですね、神と父ですから。こういう人達がたくさん各国で性的虐待をしていて、その対応について親分らしきローマ法王とやらが避難されているということのようです。

プロテスタントでいう牧師とは牧会する師、教えを伝える先生くらいでしょうか。名前は、こっちのほうがいいですね。私には不可解な話ですが、プロテスタントの有名なアメリカの大衆伝道者、ビリー・グラハムという人が、晩年、カトリックを受け入れてしまったような話を聞きます。

重ねて人間は危ういものだということを感じます。

2010年4月11日日曜日

カトリックを区別

http://cnn.co.jp/fringe/AIC201004110009.html

キリストの遺体包んだとされる布を公開、トリノの大聖堂

今後6週間の公開期間中に、約200万人もの人々がトリノの大聖堂を訪れる見通しだ。
カトリック教会は聖骸布について、真偽とは関係なく、信仰のための大事な道具との立場をとっている。
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観光客目当てとも思えるような。聖書には、こういう物を拝むような教えはないはず。それは偶像礼拝としてだめとも言われているはず。うーむ。ですので、私もカトリックをこころの中では注意して区別してみています。

プロテスタントである私が、(おそらく誰でも)聖書の教えをどおりに必ずしも生きれないのですが、団体全体が公然と偶像礼拝をするのは、意味が違うと感じます。

人が自分たちで聖書の教えを曲げてしまう作ってしまう。それは、神との関係ではないんじゃないですか。先日ディスカバリチャンネルでモルモンのことをテレビ放送していましたが、彼らは死者を洗礼するというようなことがありました。神の教えを受け入れなかった、自分の近親者を天国に送りたいような、そんな感覚は私にも理解できますが、聖書にないことを教えられていないことをするのはまずいんじゃ。

イスラムの人はマホメット(モハメド)が神の啓示を受けたといい、モルモンはジョセフ・スミスが同様だという。私には、むろんそれらを実証できるものはなにもないですが。その後のイスラムやモルモン、カトリック、仏教、ヒンズー教、その他の方々の行動を見聞きしながら、聖書や教会を通して知ったことと対比し、自分なりに、今があるわけです。

判断の根拠は、理屈などでは、難しく、聖霊を感じること、悪霊を認識すること、も必要と感じます。そうか、聖霊を受けていなければ感じることはできないのか。

2010年4月10日土曜日

聖書ソフトが売れました

私の作った聖書ソフト。現在は百円なのですが、昨年2件売れたきりで、ずいぶん挫折感を味わいました。それが、この1週間に2件売れました。 PayPal の手数料を除くと手元に残るのは50円位ですが、使ってくれる方がいるのは嬉しいです。現在は失業中でないので、なかなか、次の作業をするにはエネルギーが要ります。アンドロイド用の聖書ソフトも自分の携帯ではデバッグモードで使っています。これは携帯で使えるのでどこでも見れて便利と思うのですが、最後の詰めを3ヶ月放置し、まだ売りに出せていません。たぶん、生活には使えない、今給与をもらっている仕事が第一で大事という気持ちもありましたね。

これに勇気づけられて、少しやってみたい。無料ではなく、百円か99円でいいのでしょうか。

近所の高校フレッシュマンキャンパス

息子は14歳で9年生。日本にいたら中学2年の歳ですが、こちらでは高校のフレッシュマンをあと2ヶ月で終わろうとしています。変則ですが学校区にフレッシュマンだけのキャンパスがあり、そこに行っています。息子の話では、最近、同級生たちの意地悪に嫌気がさしてきているようです。アジア系をからかう冗談もあるようです。また、学校のど真ん中で、衆目の中、からかいから生じた殴り合いの喧嘩が最近2件あったり。

アジア系は18.8%、白人は73.8%、黒人1.8%、ヒスパニック4.6%。修士以上の学位を持つ先生が73.9%。

この秋から、今娘が行っている高校に移るのですが、似たような構成ですが、さらに生徒1346人のうち、無料か、減額された昼食をさせてもらっているのが36人、2.7%で、娘も実はその一人です。私が失業していた期間が長かった影響ですが、我が家は、地域の下位2.7%の超貧困家庭というわけです。

周囲の多くは白人で金持ちで、意地悪で、アジア人差別して、暴力をふるい、テストの時には見せろと要求してきたり(カンニングは日常のようです)、ずるい生徒たちばかりで、そういう生徒たちが、親からのプレッシャで、医者や弁護士になっていく。もちろん、全部じゃないと思いますが。多いようです。この辺にはそういう医者や弁護士が多いようです。

娘の高校のワシントン州内でのテスト結果はトップクラスです。州内にUSNewsの全米ランキングで50位以内に入る特殊な小さな学校が2つあり、その次州内3番手、全米80番くらいのランクの高校とほぼ同等のテスト結果を出しています。公立高校です。フットボールも盛んらしく、州では優勝したようです。でも、中身は、どうでしょう。

私は子供達のために良かれと思い、テスト結果の比較的よい公立学校に入れる住宅を選んだつもりでした。それは、私も、優秀=高給な仕事=生活が楽、というこの世によくある論理を持っていましたし、減りましたが、まだ捨て切れていないのです。しかし、それを実践している、多くの近隣の親と子供達の状態は、むしろ、精神的に荒れている面があるようです。注)私は地域の裕福な方々と対照的に貧困家庭のお父さんですが、私も精神的に自分がいいとは思っていません。貧困=清い、でもないのです。とほほ。

そういう環境ですが、小学校は、そうひどくはなかったようです。また、我家の子供はふたりとも、中学校だけは、比較的良い経験をしたように感じます。娘は、バンドで、フルートをやって、そこそこの経験ができました。息子は6年生の時に会った科学の先生がよかったようで大変身、学習に興味を持てて、小学校の5年生までの平均以下の生徒が、7年生では学年の4%の表彰される優等生にまでかわりました。中学校では、そういういじめは顕著ではなかったようですが、同じ子供達が高校へ行くと、悪い方へ変身しているということでしょうか、それとも学校の先生の問題なのか、親のプレッシャのせいなのか。

神を知っているのですから、優秀さなどの能力でなく、神に頼って、生きる、実践へと、我が家も、変わっていきたいのです。地域の2.7%の極貧家庭という状況は、ひとつの神様からいただいた変わるチャンスのようです。昨年は苦しかったですが、祈りながらなんとかやっていけました。貯金が減ったときに、仕事が見つかったり。また仕事が3ヶ月弱で無くなったら、家内が少し稼いでくれたり。近隣は裕福なのでないようですが、少し離れたよそでは多くの人が、破産して、ローンを払えず銀行から持ち家を取り上げられています。そういう方々も聖書の神様を受け入れられますように。

2010年4月3日土曜日

音声認識の仕事で

音声認識の仕事をしていますが、サンプリングした日本語のデータをところどころチェックしています。二日ほどやっていますが、日本の方々の声をずっと聞いていると、極一部の人を除いて、自分がだんだん気分が重くなってくるのに気づきました。うーん、なんか、少し晴れ晴れとしないすっきりしない、ちょっと重い感じが伝わってくるような気がします。多くの人達からそういう印象を受けるので、私の問題か、多くの方々が、重荷を抱えているのか。

明るい人は限りなく少ないです。

カウンセリングをして、悩みばかり聞いていたら、きっともっと大変でしょうね。非力な私では、自分のことで潰れそうなのだから、無理です。自分ではなく、誰かの力でないと、受けられない。