2010年4月19日月曜日

ある若い人の証しから

昨日シアトルのある日本語教会で、ある若い人の証しを聞く機会がありました。
素直なシンプルな人のようです。
昔はゲームをしてたけど今はしていない。
日本語が私の息子よりずっと上手なアメリカ人です。

何年か前兄弟や両親と京都の清水寺に正月に訪ねていて、水でお清めの作法をしています。私が、現在、まずいと思う、サタンに関わる儀式です。

彼は素直でシンプルなのであまり、防衛的に考えていないようです。私は、それは、危ない、あれは邪悪だと、恐れで予防線を張ろうとします。

この私の、びくびく警戒している姿勢のほうが、よほどサタンに翻弄されているように感じました。私の中に、生涯ずっと長年住みつく、恐れや警戒心、平安でない状態、怯え、小心、それらを感じます。神からきたものじゃないように、感じます。

恐れない、警戒しない、ということでは、なくて、ただそちらに気持ちが行き過ぎているように感じました。

そういえば、この教会では、英語部で、太極拳の活動をやっています。「気」というのがサタンにかかわること、まずい、と思う私には、教会自体にこの方面に関する知識がないかもしれないと思いました。今週末も、すき焼きディナーで、太鼓のデモかなにかがあるようですが、神道と関わりがあるのでは、という私の問に、日本の伝統という答えをいただきました。

日本の伝統、行事、お祭りなどの多くが、神道や仏教と関わってしまい、それらが、日本人を聖書の神への信仰に向かうことを遠ざけている、サタンの働き、そう思う私には、一見良さそうに見える、伝統とやらの中に潜む邪悪なものを考えてしまいます。

昨日、午後、息子と二人でシアトルの桜まつりに行ってみました。残念ながら、息子には,興味をひくものは皆無という感じで、私も、日本の祭りにはこんなものしかない、ちょっと情けない気持ちになりました。野外では、太鼓のデモがありました。日本刀を研いでいる人がいました。神社の建築みたいなのをやっている人がいました。盆踊りみたいなのをやっていました。お盆自体が死者と関わるというような怪しげな起源からきている行事でしたね。

太鼓の音自体が、演奏する雰囲気が、明るいものではなく、おどろおどろしい、暗いエネルギー、サタンの影響を感じてしまうのです。

以前、京都の街が保存されず、どこにでもある日本の街並みに変わっていきつつあることを、日本人の愚かさのように、告げる人もいたし、人を否定的にこき下ろすのが好きな、下げるのが好きな(サタンと仲がいいような)私もそう思いましたが、悪しき伝統、暗闇の儀式が破壊され、新しき、聖書の神とともに生きる日本が始まるには、伝統保存というより、新しいものを生み出すことが必要ではないでしょうか。

少なくも、悪しきモノを崇拝していた状態でできた日本の二千年以上の伝統から脱し、聖書の神とともに生きるということは、生まれ変わることで、前やっていたことを止めることも含まれていますよね。

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