2010年2月9日火曜日

タイプーサムから思うこと

http://cnn.co.jp/fringe/CNN201002080017.html
マレーシアのヒンズー教徒が背中にかぎ針を刺す写真があり驚きます。タイプーサムというお祭りだそうです。無病息災や平安を祈るのに苦行が求められる人のこと。

無病息災という言葉は仏教の言葉でしたか、病気がなく災がないことを、たしかに私もそういう状態が望ましいと感じますが、現実の人生はそうでもないですね。ヒンズー教徒はこういう痛い苦痛の苦行を通して祈るのということなのですか。これで本当に効果があるのでしょうか。

日本の神仏混合の社会では、たしか神社かお寺に行ってお賽銭を投げたり、なんかご利益のあるといわれるものを買ったりするようですから、苦行はないですね。これで本当に効果があるのでしょうか。

キリスト教では、父なる神に、イエス・キリストの名によって願い事を祈りますが、神は、答えてくれることもあるし、祈りに答えないこともある。答えないのは祈る我々には不本意なことですが、神の目からは最善という、外の人から見たらなんだそりゃ、と言いそうな事を受け入れています。これが受け入れられる自分にも過去の自分から考えて不思議な変化ですね。

ヒンズー教の経験はないですから、かぎ針を体に刺す気持ちはわかりません。日本育ちですから、お寺や神社で願い事をしている感覚は少しわかりますが、祈る相手は、聖書の言う父なる神でなくては、となってしまいます。

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