2010年9月14日火曜日

ユダヤ人の特色から

日曜夕方、あるユダヤ人の知り合いと、時を過ごした。彼は、クリスチャンであるが。

(1)かねて世界中で広く言われている、何千年と年月を経てもユダヤ人だけが文化を維持できるのはどうしてか?
「ユダヤ人は、ユダヤ教、トーラ、つまり旧約聖書の始めの5書、モーゼが書いたものを勉強する。それらは古いヘブライ語(子音ばかりのもの)で書かれていて、それを学ぶために、ヘブライ語を学ぶ。」うーむ、これだけで、イエスを認めなかったが、神様に選ばれた民という実感がある。基盤にモーゼ5書の教えがあるのだ。つまり、旧約聖書の始めをユダヤ人は、誰でも学ぶとすれば、神の真理を学ぶならば、他の民族より祝福があってもおかしくないのかもしれない。

(2)ノーベル賞受賞者のかなりの比率がユダヤ人であることは?
「それは、たぶんほんとうだろう。ユダヤ人は国を持たなかったので、世界中どこでも通用するものを勉強した。物理や数学だったり医学だったりする」というのが彼の意見。ふーむ、なるほど。

神の真理を学んで、それを基盤に生きているなら、覆されることがないものね。

ダーウィンの進化論という推論を一生懸命学んでも、人のでっち上げたものは、いつかは崩れるじゃないか。本当に、現代の科学者たちは、猿が人に変わると思っているのだろうか。猿がいつか自動車を作ったりできると思っているのだろうか。

イギリスのホーキングと言う有名な物理学者の人が、最近言ったことも同じく、要は、偶然、生物ができる可能性があるというようなことだったと思う。人間の生殖機能のようなものが、偶然できると、思っているのだ。

一体偶然にできた生物が一つでも発見されただろうか?

聖書は、変わらない、2千年を経ても、読みつがれている、翻訳者が、修正手直しを加えることはあるが、古い翻訳の King James 1611 などがいまでも、修正が少ないと、大事にされている。他の人のつくった文章が、こういうふうに残って読みつがれていくだろうか。

さて、私のような、日本人、アジア人でも、聖書によく学びそれをもとに生きるなら、どうなるのだろう。人生が変わっていく期待感がある。

日本人として日本で生まれたために、持ってしまった、固定観念、神道や、仏教などから来る先祖崇拝の感覚、神社や、お寺参り、お祭りなどの、固定観念、こういうものは、日本を出れば人間の常識でも何でもないのですが、常識と思い込んでしまっているものから、脱出する機会が日本にいるより多いのでしょう。

私の場合は、聖書の神の世界に入っていくのにアメリカに来たことが助けになったようです。

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