2011年3月11日金曜日

知り合いの癌末期患者男性

家内の台湾系の癌末期患者の知り合いの男性の方が居ます。末期の療養所のようなところで、後1ヶ月もつかどうかという状況のようです。今日家内が友達と3人でお見舞いに行き、未信仰者の方々がいなくなったところで、各々、声を出してお祈りする機会が持てたそうですが、当人は、もちろん、神様に癒してほしいようでした。その、当人のお祈りには、家内を含めた訪れた人々とその家族への祝福をが含まれてたそうです。また、家内が、昨年末の、私の狭心症の処置、1月の失業、現在は健康保険なしで生活していて、失業手当のみの収入で健康保険に入るのをためらっている話をしたようです。そしたら、帰り際にあと1ヶ月の癌末期患者の当人が家内になにか封筒を渡したそうです。家内はそれが、お金だったことをエレベータ内で発見し、慌てて返してきたとのこと。

彼は自営業でやや裕福でしたが、奥さんと我が家より少し若い子供ふたりを残しています。お金だって、彼の家族に残したいところを、我が家に分けようとしてくれたのです。神様が彼の中に生きているのを感じます。彼の神様による奇跡の癒しを共に祈ってくださればありがたいです。

2011年2月23日水曜日

「ひきこもり」に「無縁社会」

先週末のRJCの会議で、日本でひきこもりを助ける働きをしている女性というか女の子に会いました。この人は日本人ではなく、マレーシア出身の中国系の人なのでさらに驚きました。ひきこもりは、十代の若年層を中心に始めるようです。

TVJapan で無縁社会という特集を見ました。こちらは、主に私のような、中高年にとって深刻な問題になっているようです。

たぶん共通点は、自信がなくなる、仕事がない、自分が必要とされていないように感じたり、人間関係が少ない。

アメリカでは、仕事がなくなり、家やアパートを維持できなくなり、ホームレスになってしまう場合が多いのではないでしょうか。私も人ごとではないのですが。

日本では、さらに心理的な孤立が、上乗せされているように感じます。

雇用が少なくなって、一次雇用ばかりで、人生に意義を見出せない人は多いようです。私も同じ経験をしています。

そういう我々が、どう、生きる意義を見出し、食べていけるのか、どういう働きが必要なのか。

30代になっても結婚出来ない人がふえている。仕事の不安定、所得の低下。

2011年2月4日金曜日

風のガーデンを見ました

風のガーデンという倉本聰脚本のフジテレビ60周年記念ドラマというのを見た。倉本さんは76歳になっているはず。タバコを1日80本も吸い、自分の作った、チーズフォンデュの店も富良野に持っている。

私は57歳でタバコを一切吸わないのに狭心症になった。好きなチーズや肉をやめているが、19歳年上の倉本氏は、あんなに創作力があるのに、私は元気ない。倉本氏は、霊の力とテレビ番組でコメントしている。霊が彼を創作へと動かしている?

私は彼のように太っていないし、どちらかと言うと痩せているのに狭心症になった。おまけに聖書の神を信じているのに。倉本さんの言う、霊は、自分を超えた存在と言うのであるが、キリスト教らしき気配は、あまり、ドラマには見えない。なので、悪霊という可能性も考える。

私が狭心症になったのは、意に沿わない仕事を、嫌だけど、生活や家族のために、無理やり頑張って、徹夜したりしたからだろうか。少なくも、最近は自分の仕事を、自分の人生を燃やす仕事とは思っていない。

2011年1月9日日曜日

2万3千突破

聖書ソフトのダウンロード数です。8ヶ月あまりですから、1ヶ月に2千以上になってきました。おそらく Android のデバイスがたくさん売れて出ているのだと思います。

要望は、書名の言語を変えること、検索、しおり、大きなスクリーン対応(一部1.5ベースのを1.6にしないとできないんです)。

2010年12月8日水曜日

Galaxy Tab をさわりました

7インチの小さなデバイス、しかし電話に比べりゃ3倍大きい。こんなものが500ドル以上すると思うと、た、高い。iPad のほうがいいじゃないか、と思ってしまいました。残念ながらです。タッチの繊細さ、感覚もさほどいいとは言えず。高級感はなく、今ひとつという印象で、値段だけ考えて、いらないということになりました。

2010年12月6日月曜日

篤姫

DVD8枚全部見終わりました。どのくらい虚構なのかわかりませんが、幕末から明治にかけての歴史を見る思いで面白かったですが、閉口するのは、仏像や先祖を拝むところが、これでもかというくらいふんだんに出てきます。

日本の当たり前は、世界の当たり前ではないです。仏壇や仏像さらにお寺や神社が不気味で気持ち悪いと感じた私のような日本人はほかにもいるのではないかと思います。

私は、自称無神論から、聖書に書かれた神を信じるに至りましたが、2010年も終わろうとする現代の日本でも、常識のように、仏像を拝む姿が出ている日本では、聖書の神を知ることはずっと難しいのではないかと感じます。子供の時から当たり前と植えつけられていますから。

2010年11月20日土曜日

篤姫とやらを見ています

台湾系の知人から中国語字幕の出るやつが回ってきまして、見るつもりはなかったのですが、鹿児島の景色や、当時の、ワシントン州から帰国しようとして、追い返された船の話(三浦綾子の本を読みました)西郷吉之助、大久保利通、小松帯刀、ジョン万次郎、などの話がなかなかです。

でも、やっぱり、金色の仏像や、お守り、が、やっぱり、染み付いている、日本の社会。NHKは神道、仏教、系の生粋の放送局という思いを新たにしました。

(Google IME は小松帯刀がちゃんと出ます。MSIMEは最近努力してないようですね。)

一見無宗教そうで、実は生活にべったり染み付いた、偶像礼拝、キリスト教を迫害しない分めだたないけど、迫害されるイスラム国や共産主義の中国よりクリスチャンの比率が少ない、日本です。

あの金色の仏像を見るたびに完全に、牛耳られている、日本を感じます。さりげなく、ゴミが混ぜてあるような。